Lost All Direction

自分語りが多いです

無題

私は自分の事を「構ってちゃん」であると認識している。

また、とても寂しい人間である、とも。

寂しいから構ってほしくなるのか、はたまた逆なのか。定かではないしどちらでもいい。

 

私は、実生活の私は、所謂「弄られキャラ」だ。

人から弄られ場を和ませる。

芸能人でも、私のような一般人でも、とてもとても美味しい立ち位置だ。

私はそれで自己を確立しているようなものだし、相手も私を見てくれている。

逆にそれがなければ、誰も私のことを見てはくれない。

(どうでもいいことだが「くれない」を変換したところ「紅」がでてきた。まさに俺が見えないのかすぐ側にいるのに、といったところである。この場合、見えないのかではなく見てくれないのかが正しいが。)

 

しかし悲しいかな、私が必要とされているのは、弄られる私であってそうでない私は必要とされていない。

私が少しでも弱音を吐くと、やれ病んでいるだのやれ疲れているだの。

いや、確かに人前で弱音など吐くものでもないし恥ずべき行為だ。

が、私にも少々疲れるときがあるのだ。

そのときぐらいは、せめてそのときぐらいは「弄られる私」はやめても許してはくれないだろうか?

ああ、やはりだめか。私は、やはりその私でないとだめなのだな。

そうでなければ私でないと、そういうことなのだろうか。

そうやってサンドバッグになるのに疲れてしまった私は、一時でもやめてしまった私は私ではない。

ずっと皆の相手になれ、と。構ってやるから、と。心の狭い私が悪いのだな。

なら、喜んで、ピエロにでもなんにでもなろうではないか。

 

私は私で喜んでくれる人がいるなら幸せだ。

これは本当だ。

何もない、どこか欠けているような私でも喜んでくれる人がいる。

でも、我侭を言わせてもらえるなら。

せめて、誰か、少しだけでも私を受け入れてほしい。

弱い、馬鹿で、惨めな私を、醜いピエロの私を受け入れてほしい。

 

 

あ、そうか。

だから私はいつまでたっても寂しい人間なんだ。

なんだ、簡単なことだったな。