Lost All Direction

自分語りが多いです

無題

昔からそうだったのだが、文章を書くにあたってまず最初の一言、一文字がでてこない。

ペンを持てば中空でペン先がゆらゆら。キーボードを前にしては指を遊ばせてるだけ。

こうやって文章を書くまでに果たして何分、何十分が経過しているか。そしてその無駄にした時間、何を考えていたか。(最初の一言に決まってんだろ、というツッコミはやめていただきたい)

 

私は「無駄」というものに酷く惹かれる。価値にしろサイズにしろ時間にしろ、何より「無駄」なものに多大な魅力を感じてしまう。

その「無駄」なモノ・事を省くことにより効率化が進むことは考えなくても分かることだが、なかなかどうして効率的なものには全く賛同できない。もちろん、仕事に関しては別であるがここではそれは除外してほしい。

 

私は自他共に認める所謂面倒くさい部類の人間であり、人に話しをするにあたって起承転結を順々に、それも本筋から脱線しつつ話していく癖がある。

真面目な話の時に特にその傾向があり、思うに私は今までそういう生き方を選択してきたこともあり人に対してふざけた様相でいないと自我を保てなくなっているのだろう。

ガキンチョではあるが真面目なのはかっこ悪い、真面目なのは疲れる、等とそういった意識を深層で強く持っているのだと思う。

もちろん上記の事は人を選んではいるが、むしろ友人にしかそういう話はしないがあの人ならこの人なら私のそういったところも許してくれる「だろう」といった甘えの部分も多分にある。

親しき仲にも礼儀あり、とはよく言ったもので私はその礼儀を欠いているのだろう。

が、幸か不幸か、はたまたまだ一縷の希望でもあるのか諦めなのか、片手で数えるほどしかいない友人は相も変わらず私の与太話に付き合ってくれている。

これを幸せと呼ばずに何を幸せとするか。

幸福度の違いは人それぞれであることは周知の事実であるしそこについては特に言及するべきでもないが、いや、チープではあるが当たり前に思っていることこそやはり幸せであるということか。

私に付き合ってくれているそして私を振り回してくれているたかだか5本の指に納まる友人だが、そのいつまで続くか解らないこの今こそ幸せである、と。(ここで私が友人と思っていても彼らはそうは思っていないのでは、と発想するのは愚の骨頂である。何故なら私も思っているからである)

 

さてさて、私はこの文章をここまで書くのに実に1時間弱もの時を要したが、どれほどの無駄であっただろう。

好きなバンドのアルバム1枚を聞き終える頃に書き終わったのだが、曲の内容はあまり頭に入ってこなかった。

そしてこの文章を読んだあなたは何秒、何十秒と無駄にしただろうか。

私は性格が悪く、実に子供っぽい人間であるので、こうした神経を地味に逆撫でする行為が大好きなのだ。

もしあなたが私のこの文章を意味を見出せなく時間を無駄にしてしまった、と感じたのであれば私はとても喜ばしく思うし、私に付き合ってくれて大変ありがたく思う。